5億年前に生息していた昆虫の化石の中に黒々とした染みが見つかり、非常に保存の良い左右対称の脳組織の可能性があると注目を集めています。この化石の発見は、激しい議論の的となってきた謎を解明する足掛かりとなるかもしれません。その謎とは、脳が化石化するかどうかというものです。
この染みが見つかったのはアラルコメナエウスという節足動物の化石です。アラルコメナエウスは現代の昆虫やクモや甲殻類と同じ節足動物門の生物です。
生息していたのは約5億4300年前〜約4億9000年前の地質時代であるカンブリア紀。外骨格が硬いため、良い状態で化石化されています。しかし、脳や神経系の柔らかな組織は腐敗することが多く、化石に残ることなく消えていました。
ところが、12月11日発行の学術専門誌『Proceedings of the Royal Society B』に掲載された最新の研究論文で、脳とその付属物全部が完全に保存された状態のアラルコメナエウスの化石が1つならず2つも発見されたと報告されたのです。
「私たちがこの化石記録で扱っているのは例外的な状況です。よくあることではありません。非常に非常に珍しいものです」と論文の共著者のひとりであるハヴィエル・オルテガ゠エルナンデス氏は言っています。
同氏はハーバード大学で地質時代の無脊椎動物を研究する純古生物学者であり、ハーバード比較動物学博物館の学芸員を務めています。神経組織が残っていると思われるアラルコメナエウスの標本がほかに1点のみ、以前に特定されたことがありましたが、学界では懐疑的に受け取られました。
今回、2点が追加されたことで、神経組織は化石化することが可能であり、カンブリア紀節足動物の希少な化石の中にそれが実際に見つかったということを研究者たちは確信できるようになったとオルテガ゠エルナンデス氏は述べています。
オルテガ゠エルナンデス氏が率いる研究チーム以外には、カンブリア紀節足動物の化石化した神経組織を発見したという報告をした研究者はほんの一握りしかいません。
2012年に発表された論文で、化石化した節足動物の脳の痕跡が初めて発見されたことが報告されていますが、これはフキシャンフィア・プロテンサと呼ばれるとても小さな生物の中に見つかったものでした。この時は、マスメディアに大きく取り上げられましたが、否定する意見が目立ちました。
「くだらない、まったくナンセンスだって言われましたよ」とアリゾナ大学神経科学部のニコラス・ストラウスフェルド指導教授は振り返ります。同指導教授はこの論文、および、節足動物の中の脳のように見えるものについてのいくつかの他の論文の共著者のひとりです。
一部の純古生物学者が、生物の腐敗の仕方の一般的な理解に基づいた意見として、同指導教授や他の研究者らが発掘した染み付きの標本が神経組織を含むことは不可能だと主張したということです。脳のような染みは化石化の過程でできた奇妙な偶然の産物か、生物膜として知られている化石化した細菌床のどちらかだと理論立てした研究者もいました。
しかし、今回、オルテガ゠エルナンデス氏の研究チームによる最新調査が「先行研究の実に喜ばしい証明」になったとストラウスフェルド指導教授はライブ・サイエンスの取材に答えています。「オルテガ゠エルナンデス助教授が多くの反論を退けてくれました」
この研究で、同助教授と共同研究者たちが、グレート・ベースンと呼ばれる低地の中のユタ州西部に埋もれていたアラルコメナエウスを掘り出しました。カブトガニやクモやサソリといった現代の節足動物の何種類かに見られる神経系の構造に似ている左右対称の染みがその生物の正中線に沿って付いていることに研究チームは気づきました。「神経系と消化管が少し交差していました。これは本当に型破りなことですが、現代の節足動物では普通のことです」と同助教授は話しています。
また、染みは神経組織の主成分である炭素を検出可能なレベルで含んでいました。さらに、神経系組織は目につながっているものですが、黒っぽい染みはこの生物の4つの目の中にも詰まっていました。これらの判断基準をすべて確認し終わると、同助教授は新たに発掘した標本の中に化石化した神経組織を発見したことを自信を持って報告できると言ったのでした。
しかし、研究チームは念のためにグレートベースンで発掘された別のアラルコメナエウスの化石も調べました。1990年代に掘り出されたこの標本には、新たに見つけた化石の染みと似た黒ずみと炭素の痕跡がありました。
それに加えて、どちらの化石もストラウスフェルド指導教授が中国で発見した別の標本の描写説明に一致していました。3点とも、同じような堆積物の中に埋まっていたのを発見されたことから、特殊な保存過程によって脳物質の化石化が可能になったとオルテガ゠エルナンデス助教授は推測しています。
また、オルテガ゠エルナンデス助教授と共同研究者たちは調査結果を再度、再々度と確認を重ねましたが、中国の陝西省西安市にある西北大学地質学部の初期生物研究所(the Early Life Institute)のジアンニ・リュウ教授は「本物の化石化した脳を発見したと主張することについては通常は注意深くなくてはなりません」と述べています。
同教授はカンブリア紀の化石に見られる染みは脳物質の残余物というより「腐敗過程においてわずかに無秩序に影響したもの」によるのかもしれないと反論しています。
2018年に発表された研究で、同教授と共同研究者たちは約800点の化石標本を調査し、そのほぼ10パーセントの標本の頭部に墨のような染みがあることを発見しました。研究チームは生物腐敗についての先行論文を再読し、神経組織が急速に腐敗する傾向があるのに対し、消化管の細菌は長く残り、「このような神経系の部分部分にやや似た放射状の染みとなる、いわゆる生物膜をつくる」ことがわかったと同教授は書いています。
ストラウスフェルド指導教授を初めとする数名の純古生物学者たちは、リュウ教授の主張に異を唱えています。同教授が、脳組織を含むと報告されている化石を調査しておらず、 主要な根拠が欠けているため同教授の研究には「重大な欠陥」があると指摘しているのです。それに加えて、同教授が調査した標本群の染みは左右対称ではなく、どちらにしろ、脳組織と解釈されることはなかっただろうとストラウスフェルド指導教授は述べています。
さらに、腐敗の研究では組織の分解を水中で測定することがよくありますが、土に埋まった化石は周囲の堆積物の中にある多数の化学物質と相互作用する点をオルテガ゠エルナンデス助教授は挙げています。
たとえば、粘土と水分の組み合わせは、特定の化学物質がしなやかな牛の皮を革に変えるのと似たしくみで体内の軟部組織を硬化させる「化学的ななめし」のプロセスを活性化させるということです。
化石の保存における堆積物の役割を明らかにするためにはさらなる研究が必要となりますが、現在のところ、非常に強い圧力を受ける場所に埋まった節足動物の遺体が長い時間をかけて硬くなるということを豊富な証拠が裏付けているとストラウスフェルド指導教授は指摘しています。
同教授によると、生物の内部にある脳と神経が強力な圧力下で平らになる過程で、神経組織は脂肪を多く含むために構造体が水をはじいて「腐敗に対していくらか抵抗する」ということです。
証拠の発見によって有利になったとは言え、オルテガ゠エルナンデス助教授やストラウスフェルド指導教授の研究チームは、古生物の脳の化石化が可能であることを反論者に納得させるためには節足動物の脳片を今後、多数掘り出す必要があるかもしれません。
リュウ教授は「発見したものが本物の神経組織だと証明しようとする論文著者たちの取り組みは評価しますが、データの化石標本が2点のみであることから、私たちはいまだ疑念を抱いています」と懐疑的見解を崩していません。「新たなデータはいつでも歓迎しますが、以前にも指摘しましたように、いくつかの標本を個別に調べ、そこに一貫性のある形で解剖学的特徴が認められるのであれば、私たちは今以上に納得すると思います」
reference: livescience