ロシアの国営原子力企業、ロスアトムは今まで公開されたことのなかったソビエト連邦が1961年に行ったツァーリ・ボンバ爆発実験を行った映像を最近公開しました。水素爆弾であるツァーリ・ボンバは人類史上最強の核兵器なのです。
全編ロシア語(英語字幕付き)の40分に渡るドキュメンタリーの内容は、爆弾の背景にある工学や設計の詳細を説明するものでした。もちろん動画にはツァーリ・ボンバが1962年の秋、ロシア北部の凍える地で爆発した瞬間の映像も収められています。
ソビエト時代の宣伝という形で収められた映像で、軍服に身を包んだ男性が終始怒ったような表情で地図を指しており、60年ほど前に撮られたにしてはとてもはっきりとした映像です。この映像は下で見ることができます。
公式にはソビエトRDS-220と呼ばれるツァーリ・ボンバはロシア語で『キング・オブ・爆弾』を意味します。他にもニックネームやコードネームがたくさんあり、ビッグ・イワン、プロジェクト7000、JOE 111、Kuzka(ロシア語で『残忍な方法で思い知らせてやる』の意)などと呼ばれています。この爆弾は50メガトンを越える威力で、従来の爆薬の5,000万トンほどに相当します。これは第二次世界大戦中に費やしたすべての弾薬の10倍以上で、広島や長崎に投下された原子爆弾を合わせた威力の1,500倍を越えるものであると BBC Futureが報じています。
1961年10月30日の朝、ロシア北部にあるノヴァヤゼムリャ列島のセヴェルヌィ島岬上空に爆弾が投下されました。爆弾の威力はかなりのものでしたので、飛行機の乗組員が爆風を受けるのを避けるために、パラシュートに取り付けて投下されました。乗組員が生きて帰れる保証はありませんでした。
白い閃光のなかに幅8kmもの火の玉ができ、キノコ雲は上空64kmにまで達しました。
「雲は飛行機のすぐ下にまで立ち上りその間は強烈な光が照らされていました。」とこの爆発を観測していたソビエトのカメラマンは当時を振り返りました。「光の海がハッチの下に広がり、雲も大きくなりはじめ透明になりました。その瞬間私たちの飛行機は二つの雲の隙間から顔を出し、その隙間からは巨大なオレンジ色の玉が現れたのです。」
「その玉は木星のように強力で傲慢でした。ゆっくりと音もなく這い上がってくるのです。厚い雲を突き破ってどんどん大きくなりました。地球全体を飲み込んでしまうかと思うほどでした。」と語りました。
「その光景は幻想的で、非現実的で、神秘的でした。」
信じられないことに、爆弾はセヴェルヌィ島の人が住む街からたったの54kmしか離れていない場所に落とされました。街のすべての木造やレンガ造りの家は消え去ったと言われています。多くの犠牲者が出たことも明らかになりました。さらにはノルウェーやフィンランドでも窓ガラスが砕けたことも報じられました。爆風だったにもかかわらず、爆弾の設計のおかげで原子灰の落下はほとんどありませんでした。
ツァーリ・ボンバは非常に大きすぎて非実用的なものでした。事実、この驚異的な規模の爆発はしばしば1963年にアメリカとソビエト連邦の間で大気中、宇宙空間、水中で原子爆弾実験を禁止するために調停された部分核実験禁止条約の推進力の一つとして語られています。
残念ながらこれらの恐ろしい兵器は今も存在しています。2019年初頭時点で少なくとも13,865の核兵器が存在しており、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、そして北朝鮮の9カ国が保有しているのです。
reference:iflscience