焼きたてのパンの香り。温かい土に降る雨や夏に芝刈りをする匂い。私たちは、鼻腔内の奥にある「嗅球」と呼ばれる神経束のおかげで、匂いを感じることができます。
1,000人以上の被験者の脳スキャンから、この仕組みが欠けていると見られる症例が幾つか確認されましたが、にも関わらず、彼女らは驚くほど上手に匂いが特定できました。
別の研究でMRI画像をチェックしていたイスラエル・ワイツマン科学研究所とオーストラリア・フローリー神経科学研究所の神経学者が、嗅球のない2件の症例を偶然発見しました。
その研究では、嗅覚のある左利きの女性が対象であったため、嗅球がないということは特に際立ち、さらなる調査が求められました。
頭蓋骨の内部奥深くに位置する嗅球は、歯ブラシを下向きにしたような形をしています。取っ手の部分が脳に伸び、柄が鼻腔の最上部に入るイメージです。
嗅球は、私たちが吸う空気中の揮発性物質をとらえ、記憶や感情をつかさどる部位など脳の各部にメッセージを送ります。
その結果、私たちは匂いから喜びや嫌悪の感情を抱いたり、恐怖や祖母に抱きしめられた記憶を思い出したりすることができるのです。もし、これらが嗅球の機能によるものだとすると、嗅球が損なわれ、または存在しない場合、匂いに気づく機能には大幅に支障が出ることになります。
ところが、げっ歯類での研究では興味深い疑問が浮かび上がりました。実験動物の嗅球が病気に侵食され、または完全にない場合でも、匂いの実験に対応できることが確認されたのです。
残念ながら、実験動物はずる賢く、有臭無臭に関わらずご馳走にありつくテストをクリアする策を持っているかもしれないため、結果の信憑性については大いに疑問が残るところでした。
しかしながら、嗅球なしで嗅覚が残っているらしい二人の被験者が確認できた今、神経学者には確証を得る機会が与えられたのです。
私たち人間の嗅覚はかなり発達しており、恐らく1兆もの異なる匂いを嗅ぎ分けることができます。また、ネズミと違って、被験者に対しては質問をすることができます。
こうして研究チームは、この予期せぬ発見を出発点として、 人間の脳の連結をマッピングする大量のデータからさらなる症例を追跡しました。
1,113件のスキャン画像がチェックされ、さらに3件の症例が確認されました。
ワイツマン科学研究所の神経生物学者であるノーム・ソベル氏は、「嬉しいことに、これらの症例はヒトコネクトームプロジェクトで収集されたデータの中で発見されたものです。」と述べています。
「公開されているデータを複製したものなので、発見には大きな信頼性が付与されます。我々の実験室内でのみ確認された異常ではないからです。」
新たな症例も全て女性のもので、うち一人は左利きでした。この左利きに偏っている意味は全く解明されていませんが、データが示した「彼女たちが嗅覚を持つ」という事実は驚くべきものでした。
研究チームは最初の2人の被験者に再度接触し、嗅球がなく、さらに匂いが分からない嗅覚障害の女性を3番目の被験者として募りました。
被験者たちの脳をより詳細にスキャンしたところ、嗅球全体の構造が確実に減少していることが確認されました。研究チームは、女性たちに仮に嗅球があっても非常に小さいものであると結論づけました。
次に女性たちは、ひと吹きされた10種の着臭剤を11項目の表現でそれぞれ評価するよう指示を受け、その結果は健全に機能する嗅球を持つ140人の女性たちの答えと比較されました。
本来なら全く匂いが識別できないはずであるにも関わらず、嗅球がなく匂いが嗅げる2人の女性の結果は驚くべきものでした。また興味深いことに、2人の女性が出したそれぞれの匂いに対する表現は奇妙に似通っていたと言います。
例え女性たちに少しでも嗅神経が残っていたとしても、厳密にはその匂いの正体や状態を識別することは難しいのです。この結果は、私たちの脳は非常に小さくとも様々なことができるという認識を強化してくれるものです。
「我々の発見を最も単純に解釈すると、彼女たちは生まれながらに嗅球がないにも関わらず、発生中の脳の際立った柔軟さにより、嗅球内ではなく脳内の別の場所に糸球体マップを構築したということになります。」とソベル氏は述べています。
reference: sciencealert