イカといっても決して隅には置けません。よく滑るからというのもありますが、信じ難い遺伝子編集能力を持っており、細胞核から離れた自分自身のRNAに後から手を加えることができるのです。
どういうことかというと、遺伝子というのは少なくともヒトの場合、組み替えて次世代に引き継がれるまで普通は構成を変えることがありません。これはメッセンジャーRNA(mRNA)についても同様です。この物質は我々のDNAを読み取り、短いRNAでできたメッセージにして細胞核外に放出、細胞の他の部分にどの蛋白質を合成すべきか伝える役割を果たしています。
mRNAが一度核を離れてしまえば、遺伝子情報を操作するすべはないものと考えられていました。しかし最新の研究により、イカの神経細胞は例外であることが判明したのです。
「イカが細胞の外周部でRNAを編集できることが示されました。」ウッズホール海洋学研究所(MBL)の遺伝学者であるジョシュア・ローゼンタール氏はワイヤード誌の取材にこう述べています。「神経系の広範囲な調整機能によってこれが行なわれており、生命を生き抜く方法としては画期的なものです。」
研究チームはアメリカケンサキイカ(学名Doryteuthis pealeii)の雄の成体から神経を取り出し、蛋白発現量と合わせてトランスクリプトーム(mRNAにとっての遺伝子に似た物質)を分析しました。
この結果イカの神経(ニューロン)ではmRNAが細胞核外の軸索(神経繊維)と呼ばれる部位で編集されていることが判明しました。mRNAの編集により、イカは局部的に生成する蛋白質を微調整することが可能となります(図参照)。またこの発見に関しては、イカがこうした機能を持つ唯一の動物であることが分かっています。
もっともイカが遺伝子編集の腕前を披露したのはこれが初めてではありません。2015年やはりMBLのチームにより、イカが細胞核内においてヒトを超える信じ難い規模でmRNAを編集できることが見出されています。「RNA編集は全て核内で行われ、それから編集済みRNAが細胞に伝達されるのだと考えていました。」ローゼンタール氏はこう説明します。しかしチームが今回示したのは編集が核内外で行われ、しかも核内より核外にある軸索でかなり多く行なわれているという事実でした。
ではイカはなぜこういう事をするのでしょう?どうしてそれ程mRNAを変える必要があるのでしょうか。理由は不明ですが、研究チームにはいくつか仮説があるようです。タコやイカの類はみなmRNAを編集して神経系で生成される蛋白質の種類を増やしています。
これが他の無脊椎動物に比べてはるかに知能が高い理由の1つかもしれないのです。「遺伝子情報を細胞内で別々に編集するというのは斬新な方法で、遺伝子の設計図を一つだけ使って空間的な複雑さを生み出すという発想の拡張が可能となる。」研究チームは今回の報告でこう述べています。「こうしたプロセスは蛋白質の機能を微調整し、細胞各部における特定の生理的要求を満たす助けとなり得る。」
今のところはイカに関する興味ある遺伝子研究でしかありませんが、研究者は今後この種の生体系が軸索の機能不全といった神経障害を治療する助けになるかもしれないと考えています。クリスパー(CRISPR)技術は細胞内のDNA編集を根本から変えてしまいましたが、RNAは永続性がかなり低いため編集の危険度も小さいのです。「RNA編集はDNA編集よりはるかに安全です。」ローゼンタール氏はワイヤード誌にこう語っています。「もし間違いが起こってもRNAは置き換えられて消えてしまいますから。」
研究結果は「Nucleic Acids Research」に掲載されたものです。
reference:sciencealert