シロナガスクジラは地球一の肛門を持っているのか?

地球上で最大の動物であるシロナガスクジラ。

体長は9階建てのビルに相当し、新幹線の一車両をしのぐ大きさです。2020年の夏、「シロナガスクジラの肛門は約1メートルあってもおかしくない」という奇妙な説がアメリカのSNSで拡散されました。

なぜなら、地球最大の動物の肛門の大きさに、誰も正しい情報をもっていなかったからです。シロナガスクジラの肛門はどのくらいの大きさなのでしょうか?地球一の肛門を持っているのでしょうか?

今回は世界最大の動物シロナガスクジラの肛門がどのくらい大きいのかについてご紹介したいと思います。

商業捕鯨時代に捕獲されたシロナガスクジラは、平均体長が約26メートル。最大の個体は34メートル、体重は72トンと記録されています。この規格外の大きさをもつシロナガスクジラについて、人びとは並々ならぬ関心を持ってきました。

例えば、「えさの量はどれくらい食べるのか?」や「目玉の大きさはどれくらいなのか?」「腸の長さはどれくらいなのか?」等々。インターネットの情報の海では、これらの疑問に対する回答を、苦も無く見つけることが可能です。

シロナガスクジラは、1日1、2トンのオキアミ・プランクトンを食べ、目玉の大きさはグレープフルーツと同じくらい、腸を伸ばすと全長は200メートルにもなります。

ですが、肛門の大きさとなると全く話は別であり、人々は首を傾けるばかりです。それではまず、クジラ類の肛門はどのような構造をしているかを見てみましょう。

肛門とは消化管の出口のことで、解剖学的には直腸の体外への開口部を指します。私たちは「肛門」というと便の出る穴を想像しますが、クジラ類を含む海洋哺乳類では生殖溝とよばれる溝に膣口やペニスがあり、そのやや尾側に肛門が存在しています。

また、この生殖溝の両脇に、メスであれば赤ちゃんクジラに乳を与えるための乳溝と呼ばれる開口部が位置しています。

クジラの種類によっては、肛門と生殖溝が一本の長い溝になっており、泌尿生殖溝とよばれます。そのため、一見しただけでは、肛門と生殖器の開口部との位置関係がわからない場合も多いのです。

海中で撮られたクジラ類の写真では、この溝の大きさは分かるものの、その奥にある肛門は見ることができないため、写真や動画から肛門の大きさを知ることはできません。

偶然にシロナガスクジラが排便している場面に出くわしたとしても、比較する対象物がなければ、やはり肛門の大きさを判定するのは難しいでしょう。

過去のシロナガスクジラの解剖学的計測データをみても、背びれの大きさや、乳腺の計測データはあるものの、肛門に関しては全くデータがありません。

今から100年ほど前の商業捕鯨時代には、クジラの大きさや繁殖周期に関心が集中しており、誰も単なる排泄器官である肛門に興味がなかったのかもしれません。失礼、これは当然です。クジラの肛門に興味がある人は私達以外いないでしょう。

やはり、餌や大便の性状から、肛門の大きさを推測するしかなさそうです。クジラの大便は、ヒトや陸生哺乳類の大便とは大きく異なります。

シロナガスクジラを含むヒゲクジラ類の大便は、ほとんど固形物ではなく、ペースト状となっています。便の色は驚くほど鮮やかな橙色を呈しており、はじめて見る人はこれがクジラの便だとはわからないほど。

ただし、シロナガスクジラが大便をした後、その鮮やかな橙色の便を網で回収し実際に匂いを嗅いでみたところ、とてつもない悪臭だったということは分かっています。

このような大便が排泄される際には、特に肛門が拡張する必要もなく、体のサイズと比較して小さな肛門で十分だと考えられます。

それでは、クジラの解剖学に詳しい専門家たちの意見はどうでしょう。

便の性状は水分含有量に応じて「ブリストル・スケール」により7段階に分けられますが、スミソニアン博物館のピエンソン博士によると、クジラはそのなかで5~6ほどに分類されるとのことです。

この数字は、大便は若干の固形物を含むものの、ほとんどが水分であることを示しています。したがって、彼らの表現を使えば、シロナガスクジラの肛門は「冷蔵庫ほどもある大便を通過させる」必要もないということ。

また、米国テキサスA&M大学のオーバック博士らは、大型ヒゲクジラの餌がオキアミなどの小さな甲殻類であることから、大きな拡張性のある肛門を持つことに否定的です。

彼らは400個体以上の海洋哺乳類について、外部生殖器の形状などを調査してきましたが、シロナガスクジラの検体はサメに生殖器部分を齧られていたため調べることができたかったと述べています。

もしも死んでから間もないシロナガスクジラを見つけることができた場合、彼らのようなクジラの研究者には真っ先に肛門を確認し、願わくば肛門を広げたうえでサイズ計測してもらいたいと思います。

シロナガスクジラの肛門を描写した唯一の図説が、1828年に出版された文献中に存在しています。この図に付記されたスケールを基準として、肛門の大きさを推測すると、約15~20センチメートルという値となります。

この精密画を作成する際に、参考としたシロナガスクジラの死体は、すでに腐敗が始まっていたということですので、実際にはもう少し小さかった可能性があります。

ヒトの場合には、体の大きな西欧人であっても、排便に伴う肛門の拡張は、最大時で35ミリメートル程度であり、これ以上広がると、皮膚は裂けいわゆる「切れ痔」になってしまうそう。

ヒトよりも大きなウマでは、直径50ミリメートルほどの大便をするので、肛門の大きさも同程度だと考えられます。

人間よりはるかに大きな体を持つシロナガスクジラの肛門が、ヒトのたった4、5倍、馬の3倍しかないことは大きな驚きですね。

おそらくヒトとウマ、シロナガスクジラでは、食べ物の種類や大便の性状が異なっているため、体のサイズと肛門のサイズは比例しないのでしょう。

では、なぜシロナガスクジラが大きな肛門を持つと誤解されたのでしょうか?

ひとつは、巨大な体を持つシロナガスクジラは、肛門も巨大であるに違いないという先入観でしょう。シロナガスクジラは簡単には見ることのできない希少な海洋生物であるため、想像力が働きすぎたのかもしれません。

もしくは、シロナガスクジラの肛門についてのSNSが広まったアメリカでは、政治家を揶揄するネタとして使われたそうですから、もともと真偽とは全く関係ないジョークであった可能性もあります。

日本でもケツの穴の「大きい」「小さい」は人間の器をあらわす常套句になっていますが、世界中で同じような例えがあるのは面白いですね。

シロナガスクジラの肛門が想像よりも小さかったからといって、「ケツの穴が小さい」奴だというわけではありませんから悪しからず。



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