アメリカ合衆国大統領民主党予備選挙の候補者、ピート・ブティジェッジの名前がここ数週間ツイッターで話題となっています。予備選で他の候補者を大きく引き離しているからではありません、彼の支持者たちがキャンペーンイベントのテーマソング「High Hopes(panic!at the Disco)」でダンスする動画が拡散されているからなのです。
しかもあまり良いとは言えないダンスで…
動画をご覧いただくとわかりますが、支持者のグループが党員集会の最中踊り出します。その振り付けとは、手を叩き、腕を曲げ伸ばしして、ウェーブして、そしてぐるぐるさせる、という4つのルーティンで作られています。ガーディアン誌では「選挙キャンペーン期間中一番恥ずかしい行動ではないか」と問う記事が掲載されたほか、なぜこのダンスクリップが見るに耐えられないのかを問いかける記事などが多数見られました。
「見るに耐えない」という言葉は恥ずかしさや不自然なぎこちなさから起こる感情を表します。同意語は他にもありますが、心理学的な用語に「vicarious embarrassment(代理羞恥)」という言葉があります。
簡単に説明するとVicarious embarrassment(代理羞恥)というのは、自分ではない誰かが起こした行動に対して感じる羞恥心を意味します。先週月曜日にツイッター上で流行った「High Hopes」ダンスに人々が強く反応し嘲笑している理由の1つはこの感情が関係しているかもしれません。
「Embarrassment : poise and Peril in Everyday Life 」の著者であり、サム・ヒューストン州立大学進学教授のローランド・ミラー氏によると、この間接的羞恥心はempathetic embarrassment(共感性羞恥)という用語で表現できます。これは誰かが何か恥ずかしい行動をしていること、例えば舞台上の俳優がセリフを忘れてしまった場面など、に共感や想像することで起こる軽度の羞恥心を意味します、とミラー氏は話しています。
ドイツのリューベック大学のローラ・ミュラー・ピンツラー博士研究員は羞恥心について広く研究してきており、このように指摘しています。Vicarious embarrassmentは恥ずかしい行動をしていることに気づいていない他人を見て羞恥心を共有することを意味します。両者が特定の状況で取るべき適切な行動に対する見解が異なることから発生します。それがまさに今回のHigh Hopesダンスなのです。
ミュラー・ピンツラー氏によると、Vicarious embarrassment(代理羞恥)は脳の感情や他人の感情を理解する領域を活性化すると同時に、痛みや覚醒に関係する領域も活性化します。これにはいわゆる「メンタライジングネットワーク」と言われ、他人が考えていることの意味を理解するときに活性化する領域も含まれます。
ですから、私たちが楽しいとは感じない曲に合わせて大人が滑稽な手のダンスパフォーマンスをしているのを見たときに、その状況にはふさわしくないので恥ずかしくて見てられないと感じるのかもしれません。なぜなら人々は政治家がするべきことはダンスや歌なんかではなく、良質な議論と政治的行動によってほかの候補者を引き離すことを試みるべきと考えているから、とミュラー・ピンツラー氏は話しています。
「あなたがもし、こんなダンスはまるで幼稚園のお遊戯会だと思うなら、このダンスで有権者を獲得出来ると考えるダンサーたちのことを恥ずかしいと感じるでしょう。」とミュラー・ピンツラーは語っています。
羞恥心を楽しんでいるという方はほとんどいないでしょう。ではなぜ、そもそもこれほど話題になったのでしょうか?
羞恥心とは、公共の場で非常識な行為に対する警告のようなものであり、他人を非難する結果となります。その社会規範がどんなものであろうとそれに反した行動を遺憾に思っていることを示します、とミュラー氏は述べています。
「人は他人からどう見られているかを気にします。他人の感情を理解できる繊細な人は、他人が恥ずかしい状況にいるのを見ることで羞恥心が沸き起こります。」とミュラーは言います。
vicarious embarrassment(代理羞恥)の程度はその相手との距離感によって違ってきます。全く知らない相手の場合は感じる恥ずかしさはわずかですが、もしその相手が配偶者で結婚式にスウェットパンツとタンクトップで現れたとしたら、恥ずかしさの度合いは途端に上がると言って間違いないでしょう。
このことから、ミラー氏はこの現象を表す言葉としてふさわしいのはempathic embarrassment(共感性羞恥)ではないかと考えています。ただ公的にはvicarious embarrassment(代理羞恥)という用語が使われています。
「他人の感情を共感する能力は、他人の感情をどれだけ “代理” で経験するかということに影響することがわかりました。」とミュラー氏は話しています。
カリフォルニア大学バークレー校の心理学者ダチャー・ケルトナー氏は自らvicarious embarrassment(代理羞恥)を経験しています。30年前、オリンピックで女子フィギュアスケートを観戦する一行に加わりました。全く調子の上がらないスケーターが転んでしまう度に周りの人たちもその奮闘する姿に皆感情を共有して恥ずかしいと感じたのです。
全く知らない人に対して感じる恥ずかしさは、知人にたいして感じる恥ずかしさに比べ程度は低いのです。もしパーティーやバーに酷く泥酔した友人と一緒にいるような状況にいたら、High Hopesダンスなどより遥かに恥ずかしい思いをするでしょう。
High Hopesダンスを見て恥ずかしさを感じたかどうかは、ダンスをしている人がどう感じているかは関係ありません。ミラー氏は、そのダンスを見てそんなことは出来ないなと感じる人々は、そう感じない人に比べて羞恥心を共有しやすいと言えるでしょう、と話しています。
「ダンスしている側の人々は、情熱あふれる応援をしているだけで参加することに恥ずかしさなんて感じていません。」とミラー氏は言います。「彼らは楽しんでいるのです。これを恥だと思うのはその人は仲間としかつるまない臆病者だからだ。」とも話しています。
とはいえ、ツイッター上では意見が異なります。
もし次に誰かがテレビで失態を犯したり、しかめ面をしたり、ヤジを飛ばすのを見たら部屋を出るかHigh Hopesダンスについてツイートすればいい。覚えておいて欲しい、恥ずかしいのは彼らです、あなたではないのです。
reference: popular science