米ロチェスター大学の心理学教授ミロン・ザッカーマンが主導したこの調査では、知性と信心深さを比較した過去の研究結果を分析しています。対象とした研究は、古いものは1920年代にさかのぼり、全部で63。その大半が、人は知的であるほど信仰心に欠ける傾向があるということを示していたのです。
ザッカーマンは「知性と信仰心の関係は一方が高いと他方が低いという逆相関です」と言っています。調査のかなり早い段階で明らかになったことであるそう。
とは言え、教授自身は慎重な立場をとっています。この研究は(同じテーマに関する他の研究群を分析したものなので「メタ研究」というのですが)、何も「頭の弱い人だけが神を信仰する」と示唆しているわけではないと指摘しています。
正しくは、知的であるほど人は信仰の必要を感じないのかもしれないということを示しているに過ぎないというのです。
「もし私が神を信じていたら、それは私がバカだから、なんていう考えをこの分析結果から導き出すのはまったくの見当違いです。そんな考えには1円たりとも賭けたくありませんね。だって、大金を失う可能性が非常に高いですから」
ザッカーマンとふたりの共同研究者ジョーダン・シルバマンとジュディス・ホールは、どちらかと言うと、知能の高い人ほど特定の基本的欲求(心理学用語で言う「機能」)を信仰以外のもので満たしているのかもしれないと見ています。ここで言う機能は自己肯定感、共同体意識、目的意識などを含みます。
ザッカーマンはこのようにも述べています。「高度な知能を持つ人は、(敬虔な信者が)信仰によって得ているのと似た機能を知性によって得ている可能性がある。それが我々の考えです」
また、知的な人は確立された規範や教義を疑ってかかる傾向があるので高度に知的であるほど人は宗教的にならないようだとこの論文では結論付けています。知能が高い人は分析的思考型になりがちであり、これは宗教的信念を揺るがすものとなると他のいくつかの研究論文で指摘されているのです。
この調査報告は信仰者にとって否定的なものではないと教授は断言しています。
「この研究が対象としている機能からわかるのは、信仰の厚い人々は信仰を持たない人々よりも多くの点で人生が充実しているということです。自己肯定感や状況を把握できているという感覚、そして愛情は信仰によって得られる部分があります。信仰はこれらのすべてに恩恵をもたらすということを信者の方々に胸に刻んでいただきたいのです」
ケンタッキー州ルーイヴィルにあるサザン・バプテスト神学校の校長R. アルバート・モウラー・ジュニアはこの研究報告に「大きな懸念」を抱いていると言います。
「こういった類の研究は敬虔なキリスト教徒にとっては明確な事を指摘するものです。私たちは科学報告書に信仰を支持する根拠を見つけようとはしません。知能が高いほど宗教的信念のレベルが下がるという調査結果が出たからと言って、そのような主張に信仰が揺らぐ信者がいたとしたら、その信者は信仰の持ち方が間違っているのです」
会衆派教会の牧師リリアン・ダニエルは、自著『「精神的であっても宗教的ではない」のでは不足であるとき(When ‘Spiritual But Not Religious’ is Not Enough)』(未邦訳)を最近、出版しました。ダニエルは、多くの知的な人々が信仰の「象徴と神秘」を自然に受け入れていると述べています。
「知能が高いから無神論者になるわけでも、教育を受けるから信仰をなくすわけでもありません。そうではなく、教育の段階が上がるのに連れて、宗教なら何でも原理主義とみなして切り捨てるように仲間から圧力をかけられるという事情があるのだと思います。周囲の人たちは自分が寛容であると自負していたとしても、いまだに容認している偏見があり、これはそのひとつなのです」ダニエルはこう語っています。
reference: washington post