犬というのは並はずれて順応性のある動物です。この順応性によって、人が犬を自宅で飼うことができ、さらには週末にカフェに連れて行くことができます。
とは言え、犬が人間社会で生きていくためには乗り越えなくてはならない課題があり、そのために必要な能力は進化の過程で備わったわけではありません。子犬の頃に学んで身に付けるのです。
そんな犬にとって理解するのが難しい人間の行動を8つを紹介しましょう。
社会的動物である犬は友達作りが得意です。子犬はほかの犬や人、それに自分と積極的に交流してくれるものならどんな種でも、熱烈に喜んで関わろうとします。子犬が遊んだり眠ったりするとき、あるいは、探検したり別の場所へ移ったりするとき、たいていはほかの誰かといっしょです。それなのに人は犬をひとりにして(一匹だけにして)姿を消してしまうことがよくあります。自宅や犬舎、または動物病院で犬はひとりぼっちにされます。
そのような状況に不慣れな犬には、飼い主がいずれ帰って来るのか、あるいは、迎えに来てくれるのか、わかりません。経験を積むことによってのみ、犬は飼い主と再会できることがわかるようになるのですが、ただ経験すれば良いというわけではなく、どんな状況を経験するかが重要です。
自宅の中の特定の場所に犬が入るのを禁じようとすると、当然、多くの場合において犬は承服しません。立ちはだかる障壁、つまり、ドアによって隔絶されてしまったら、どうやって(人間の)仲間といっしょにいることができるでしょうか。
犬にとっての家族である人間たちが室内にいるときに犬が自分もその部屋に入りたいとたびたび要求するのは、そういった理由によります。また、分離不安のある犬が、室内に入れてもらうことで慰めを見出すことがよくあるのも同じ理由です。
人が周囲を感知するためには主に視覚を用いますが、犬は嗅覚の世界に生きています。ですから、人にとってはテレビが視覚的な楽しみとなるのに対して、犬にとっては公園や海辺が嗅覚的に存分に楽しめる場所となります。
さらなる課題は、人がじっと座っていることが多いのに対して、犬は生活圏を調べて確認するために動き回ることです。人が騒々しくてチカチカ光る画面の前に座り込んで楽しむという不活発な行為を犬は楽しいとは思わないかもしれません。
靴、コート、財布、ブリーフケース、バッグ、それにスーツケース。こういう物を身に付けたり、手に持ったりして買い物や仕事に行くと無数の種類の匂いがつき、帰宅した際に犬がそれに気づきます。洗剤、石鹸、消臭芳香剤、シャンプーも犬が慣れ親しんだ匂いを変えてしまいます。
人がタオルをまとったり、帽子をかぶったり、かばんを持ったりすると、体形が変わったように見えます。また、プルオーバーやコートを着ると体の輪郭が変わり、犬を驚かせてしまうことがあります。
犬は少なくとも年に一度は毛が生え変わります。それと対照的に、人は毎日のように体の外側にまとうものを変えます。これは、私たちの放つ匂いが、犬が進化の過程で予期するようになった頻度をはるかに超えて頻繁に変わるということを意味します。
嗅覚的世界に生きる犬は、人の絶えず変わり続ける匂いに遭遇するたびに困惑しているに違いありません。なじみのある個体と見知らぬ侵入者を識別するのに嗅覚を用いる種にとっては特に不可解なことでしょう。
人の手の使い方は犬の前脚の使い方と著しく対照的です。犬にとっては、くわえて引きずらなくてはならないような大きな物を人は手に持って運ぶことがよくあります。また、人の腕は人同士が互いを抱き寄せるという愛情表現のために使われることもあります。
犬は遊びで取っ組み合うとき、または、交尾やケンカをするときに相手をゆるく押さえつけます。犬は他の犬に押さえつけられると素早く逃げることができません。子犬にとってこのような動作が身の危険を感じさせるものであるならば、人に抱きしめられることの意味が伝わるでしょうか。
遊びのケンカは大半の子犬にとっては楽しいものであり、ほかの犬と心のつながりを築くのに役立ちます。ただし、子犬は遊びのケンカをしているほかの犬たちの動きを観察し、どんなときに小さくて非常に鋭い歯が危険なレベルで使われるのかを見て知る必要があります。
子犬は人にもほかの犬にもじゃれついて噛むことがありますが、人は犬に比べて噛まれる痛みにひどく弱いので、人とケンカごっこをしようとする子犬に対して否定的な反応をしがちです。
犬は物を扱うとき、ほぼ完全に鼻口部のみを使います。そして、食べるときには顎や歯、舌を使います。
また、犬は他の犬と遊んでいる際に愛情を表したり、「もっと」から「やめて」さらに「あっちへ行け!」まであらゆることを伝えるために相手の犬に口で意思表示をします。ですから、当然、人とコミュニケーションをとるときにも口を使おうとして、人に怒られる結果になると戸惑うに違いありません。
犬は機会があれば機会を活かそうとする動物なので、どこであろうと食べものを見つけたら、当然、確保します。それなのに人は犬用の皿に餌を入れて犬に与えるのが当たり前だと思っています。
子犬が作業台やテーブルに置いてある食べものに口をつけたり、ランチボックスやキッチンのゴミ入れの中にある食べものをあさったりすることがありますが、それを見つけた人間の反応に戸惑っているに違いありません。犬が近寄れるところに置きっ放しにした食べものを後に犬が土の中から掘り出したとしても驚くべきではないのです。
人は他人の犬の縄張りに訪れ、その犬の匂いを持ち帰ることがあります。また、自分の犬にとってなじみのない人や犬を家に入れることもあります。犬は自分の身の安全と食料資源への脅威となる、そのような他者の侵入を受け入れるようには進化していません。
自分の犬が訪問客を警戒する素振りを見せたり、自分の犬を他人の家へ連れて行ったときにその家の犬に敵対心を表されたりしても驚くべきではありません。
人の手は犬に食べものを持ってくることもあれば、こすったり、マッサージしたり、おもちゃを与えることもあります。あるいは、犬が動かないように押さえたり、犬の爪を切ったり、塗り薬を塗ったり、錠剤を飲ませたり、毛を引っ張るようなヘアブラシや櫛で毛並みを整えたりします。
人の手が自分のそばで動くことを怖がるようになる犬がいるのも当然のことです。犬が協力的になるようにご褒美を使って訓練すれば、人の手がする多くの種類の行動を犬が受け入れやすくなります。
しかし、人はよく犬の恐怖心を誤解して暴力で応じることさえあり、そうすると問題を悪化させてしまいます。人の手を避けたがる犬は自分を守ろうと身構えるようになりがちです。その結果、動物の収容所や保護施設に入れられてしまうことがありますが、そのような場所では噛みつく習性のある犬の平均余命は長くありません。
概して、人が犬を困難な状況に置くことが多いにかかわらず、犬は優れた適応力を見せてくれます。犬の行動の柔軟性から私たちは困難に負けないこととシンプルかつ社交的な暮らしの教訓を得ることができます。私たち、人間の課題は、犬がすることには狡猾さも悪意もないというのを理解することです。
reference:sciencealert