今では役割を失ったとはいえ、尾を持つ祖先の名残としてのヒトの尾骶骨(通称尾骨)は脊椎下部でその存在を続けています。人類が尾を失うはるか以前、初期の魚類は筋肉のある太い尾と柔軟なヒレという、2種類の「尾」を持っていました。動物が陸生になると背びれは失われ、より筋肉質の付属器官だけが残ったのです。
その後、類人猿が尻尾を見限ることになります。ファイエットビル州立大学で脊椎動物学を専門とするフィリップ・センター氏によれば、類人猿はバランス保持や感情表現に尾を必要としなくなり、むしろ体の重心が後ろに移動したことによって、仕草や表情・声での意思疎通に移行することができたのです。
他の陸上動物は尾を運動、コミュニケーション、虫よけなどのために用い、また魚類はヒレを持ち続けて巧みに泳ぐことができました。
一方で我々人類は、尻尾にあると同様の尾椎が複数融合した尾骨を、明確な理由なく持ち続けました。害もないが益もない尾骨が、仙骨にくっついて存在を続けていたのです。
ハムデン・シドニー大学の生物学者、アレキサンダー・ワース氏によると、尾骨は「ただ付いているだけで何も機能していない状態」とのことです。
科学者はこのような進化過程の残留物を「退化器官(vestiges)」と呼んでいます。退化器官の形態は骨や内臓と言った解剖学的な構造物だけでなく、鳥肌などの生理現象にも見られます。鳥肌は体毛の多かった我々の祖先が寒さに出会った時、体毛を立てて空気層を確保したことの名残りであると言います。
個別の例では諸説あるようですが、一般的な定義による退化器官は現在では機能していません。
ワース氏の研究によれば、進化に取り残された性質と個体の成長過程における残存物との間には意外に深い関係があるようです。例えば人間は受胎後数週にわたって尾を持ちますが、子宮で8週間過ごす間にそのほとんどが消失してしまいます。
ただ、ヒトの尾に関する遺伝子が単に消えてしまったわけではありません。ワース氏によると遺伝子はダイナミックで、オン/オフ「切り替え」可能であり、消えてしまったはずの構造が人体に現れる事があるのです。先祖返りとして知られるように、まれに先天的な異状がきっかけとなって古来の性質が出現するケースがありますが、これは我々の遺伝子に進化情報がおぼろげながらも記録されていることの証です。
その結果、尾を持って生まれる人も存在します。大変珍しい現象で正確な数は不明ですが、近代以降医学的に確認できた例は40ないし59とされます。こうした人の多くは除去手術を受けているとのこと。
ところで、ヒトの尾の研究は最近始まったわけではありません。1875年、ダーウィンは著書「人間の由来」の中で、「希少かつ変則的なケース」として人が「退化した小型の尾を形成」することがあると述べています。数年後、医師ルドルフ・フィルヒョウがヒトの尾の分類法を提案したものの、世に受け入れられるまでには至りませんでした。
皮膚と神経が密接に連携することから考えると、ヒトの尾は脊髄の欠陥を知らせるものだとみなすこともできます。知覚神経はニューロペプチドと呼ばれる伝達物質を生成して皮膚に供給し、それが生理的な形成発達を促すからです。
そこで次の質問が生じます。「人は尾を保持したまま健康な生活を送れるだろうか?」ワース氏によると、尾が生存や生殖の妨げにならない限り問題は生じないそうです。
「尻尾があるのも悪くないと思いますよ。綱渡りをするときにはバランスがとれて良いじゃないですか。」
reference:popular science